こんにちは、道玄坂学徒です。
学徒は鹿児島から上京してきて、奨学金1000万円を借りて大学を出ました。
月々4万円、年間約50万円を20年間かけて返済する予定です。
しかし、毎月4万円の奨学金を返済しながら思うのが、「本当に1000万円もかけて大学を卒業する意味はあったのか?」という疑問です。
今回は奨学金を借りてまで大学に行く意味があるのか考えてみたいと思います。
1.そもそも大学を出るのに1000万円も必要なのか?
①1000万円の内訳
まず大学を出るのに1000万円も本当に必要なのか?と疑問に思う方もいるので簡単に説明します。
結論から言うと、親から全く援助を受けなければそれくらいのお金が必要になる場合もあります。
私立文系の大学の場合は年間100万円程度の授業料がかかるので、4年間で400万円です。
また、生活費が月に10万円とすると年間120万円で、4年間で480万円。
この時点で合計880万円がかかります。
ここに入学金30万円と教科書代や就職活動なんかの費用を考えると普通に1000万円近いお金が飛んでいくのです。
②バイトをすればいいのでは?
もちろんバイトをすればいいのですが、上記のお金はあくまで最低限度の授業料や生活費なので、その他にかかる交際費やダブルスクールのお金としてバイト代は飛んでしまうことが多いです。
また、「奨学金の残高」という面で見ればバイトでなるべく在学時に返済をするというのももちろんありなんですが、今回の議論の焦点は「1000万円かけて大学を出る意味があるのか?」ということなので、生活費の切り詰めやバイトでの収入の上乗せについては深く立ち入らないことにします。
2.大学を卒業して得られたもの
1000万円かけてもそれ以上のものを得られるのであればトータルでプラスなので問題はありません。
では、大学を卒業して得られるのはどんなものでしょう?
学徒自身の経験をもとにお話しましょう。
①大企業に就職することができた。
大学を卒業して、一番分かりやすい収穫は大企業に就職することができたということです。
今の日本はまだまだ保守的なので、全く同じ能力の大卒者と非大卒者がいても大企業は大卒者しか採用しないというのが現状です。
学徒が採用された企業も大卒であることが前提として採用されたので、この点については大学を卒業する意味があったと言えます。
②専門の学問を学ぶことができた。
学校の本文である専門の学問を学ぶことができたことも大学を卒業して得られた収穫です。
学徒は経済学部を卒業して経済学については一通り学ぶことができたし、そのことによって経済ニュースを見ても、高校生の時の知識だけで見るよりもはるかに広く深く理解することができるようになりました。
もちろんそれが即座に仕事に生きたり、生活の役に立つわけではないですけどね。
③幅広い出身の友人ができた
高校のころは住んでいる地域の似たような土壌で育った友人しかいませんでしたが、大学ではいろんな地域の多種多様な土壌で育った友人と付き合うことができたので自分の世界観を広げることができました。
そして何より、損得関係なしで一生付き合える友人に出会えたのはそれだけでお金には変えられない価値があります。
3.大学で得られたものは1000万円の価値があったか?
大学で得られるものはありましたが、それは果たして1000万円の価値があったのか評価して見たいと思います。
①大企業に就職できたことの評価
大企業に就職することができたことについて言えば、生涯賃金ベースでは1000万円の学費をかけても十分ペイできるものであったと学徒は思います。
高卒時点で就職した場合、大学よりも4年間早く収入が発生するので仮に年400万円稼いだとすると4年で1600万円です。
学費を考慮すると合計2600万円の差ができるわけですが、なんだかんだ言って長期的にみれば大学を卒業して大企業に就職できればペイするでしょう。
しかし、これはあくまでも「大企業に就職できた」&「途中で退職しない」&「大企業の賃金体系が将来も続く」という3つを前提にしていることに気をつけなければなりません。
このうち1つでも前提が崩れるようなことがあれば、途端に奨学金1000万円の負担が重くのしかかってくるのです。
②専門の学問を学んだことの評価
専門の学問を学べたことは非常にためになったと感じていますが、そこに1000万円の価値があったかというと、そこまでの価値は無かったと思います。
というのも、文系の大学は理系と比べて高価な器具を使った実験が不要なので、極端な話、本さえ読めば勉強できてしまうのです。
大学受験を勝ち抜くだけの学力があれば自分で勉強することも十分可能だし、必ずしも大学に行かなければ専門の勉強はできないとは言えないと思います。
③友人ができたことの評価
友人の価値は当然金銭評価などできませんが、「友人を作る場」としての大学にはやはり1000万円の価値は無かったと思います。
大学で出会った友人は本当に素晴らしいですが、別に大学に行かないなら行かないなりに友人を作る場は他にも探せばたくさんあると思うからです。
4.「奨学金1000万円借りて大学に行く意味はあったか?」
①大学に行く意味はあったか?
トータルで見て大学に行く意味はあったと思います。
起業するなど一部の人を除いて、やはりまだまだ大企業に就職できるメリットというのは大きいからです。
また、大学で学んだ学問は直接的には仕事や生活にはあまり影響がないように思えますが、人生の重要な決断を行ううえで、大学時代に読んだ本や触れた思想などは非常に大きな影響を与えていると思います。
さらに、やはり少年から青年に移行するまでのモラトリアム期間に一緒に語り合った友人たちの存在は一生の宝だなぁと感じます。
②1000万円の価値はあったか?
現在の社会情勢と、将来の予測を元に考えると1000万円の価値は無かったと思います。
まず、現在の情勢を考えると、確実に大企業に就職できる保証なんてありません。
また、学徒のように就職しても途中で退職してしまってそのメリットを享受できない可能性があります。
さらに、大企業に就職できれば将来的には1000万円の学費をペイできると「現在は」考えられていますが、将来的に現在の賃金体系が存続する保証もありません。
そして、専門知識や友人は必ずしも大学で無くても得ることは可能です。
このような点を考慮すると1000万円の価値は無かったと感じます。
③結論
以上のことから、
「大学に行く意味はあったけど、奨学金1000万円を背負うほどの価値は無かった」
と学徒は考えます。
5〜6年で返済できる200〜300万円の価値なら十分あったと思いますが、20年かけて返済する負債を背負ってまで行く意味があったとは思えません。
学徒が高校のころは、大学にいくのは当然であり、そこにかかる学費は長期的に見れば確実にペイすると信じて1ミリも疑いを持っていませんでした。
最近の奨学金破産の話題などがもう少し早く世の中に浸透していれば、また考えも違っていたかもしれないと思うと少し残念ですね。
5.おわりに
学徒は大学時代のほぼ全ての学費及び生活費を親に頼らずに奨学金でまかないました。
学徒の家は貧乏家庭だったので、自分の意思で行きたいと思った大学の費用を貧しい親に負担させたく無かったのです。
また、大学時代はお金には変えられない非常に多くのことを学ぶことができたと思っているので、結果的には1000万円の奨学金ができたとしても後悔はしていません。
ただ、これから大学に行こうと思っている方や、お子さんがいる方については多額の奨学金という名の借金をしてまで大学に行く意味があるのか本当によく考えて欲しいと思います。
学徒は1000万円の奨学金を借りて、現在でも800万円近くの奨学金の返済が残っています。これから先15年近くかけてこれを返済して行くのです。
生活費20万円のうち、4万円が借金の返済で消えて行くといのは実際には結構きついものですよ??
みなさんが奨学金で後悔することのないように少しでも情報提供することができたら幸いです。